資料館・博物館探訪記

呉 探訪記2018年3月

前回に引き続き、呉市内の探訪レポートです。

 

呉市内は探訪ループバスを利用して

  1. 入船山記念館
  2. アレイからすこじま
  3. 歴史の見える丘
  4. 両城の200階段

というコースで回りました。

 

全スポットを初めて訪れたのですが
けっこう楽しめました。

 

今回は幸運なことにボランティアガイドさんを
独り占めして回ることができたので、
より濃厚な知識を教えてもらうことが出来た気がします。

たぶんランチ直後の時間帯だったからでしょう。

他に参加者が居なかったとはいえ
私1人のために申し訳ない気もしました^^;

 

 

大和ミュージアムの企画展のレポートはコチラへ

 

入船山記念館は「鎮守の杜」でもあった!?

入船山記念館は、元々は呉鎮守府指令長官官舎で
すこし小高い丘の上に建っています。

 

敷地内は木々が生い茂っているのですが
元々は神社の敷地だったとの事で、名実ともに「鎮守」の森という訳です。

 

この記念館もとい長官官舎までの道の石畳も

元々は神社の石畳で、うまい具合に流用されているのだそうです。

 

 

建物の外観は見てのとおり洋風。

 

施された装飾のせいか、どことなくかわいらしい雰囲気を感じるものの

海上自衛隊の庁舎に比べると、モノトーンでかなり地味というか落ち着いていますね。

 

落ち着きとかわいらしさの融合の妙を感じました(難しいバランスだなぁ

 

 

執務室はやはり威厳のある豪華なしつらえ。

 

壁に使われているのは、当時から張られている金唐紙。

壁一面に金唐紙が張られているのは、全国的にも珍しいそうです。

たしかに、これだけ金唐紙が張られた建物は日本ではあまり記憶にありません。

 

 

ただし、終戦後に進駐してきたオーストラリア軍により白一色のペンキを塗りたくられたので
ところどころに、白いペンキ?が残っている部分があります。

 

オーストラリア軍が出て行った後に、当然の如く修復が成されたのが今の姿という訳ですが

やはり、相当に大変だったようです。

 

 

一方、室内の備品の多くは
オーストラリア軍が帰還する際に持って行かれたので
戦後に持ち込まれたものが殆ど。

 

 

しかし、唯一、この立派なイスは当時から使用されていたものだそうです。

 

なぜかこの立派なイスだけは、別に壊れていた訳でもないのに
ポツンと残されていたらしく、なにやら不思議ですね。

 

執務室の裏側は一転して和室の連続。
面積的にはコチラの方が広いようですが

床の間の前では
イレギュラーな畳の張り方がされていたりして面白かったです。

対外的には欧風の威厳を示しつつも
オフでは和風の部屋で日本人に戻る・・・。

 

そんな昔の面影が伝わってきた入船山記念館でした。

 

 

アレイからすこじま

「アレイからすこじま」の桟橋

 

ガイドさんの話によると、最近は潜水艦も護衛艦も出払っている事が多かったらしく
この日は停泊している艦船が多くラッキーだったようです。

海上自衛隊の最新の潜水艦「そうりゅう」型も見ることが出来ました。

 

あと、当時のモノと思われる(?)石積みの岸壁もけっこう残っているようで、
昭和埠頭のジオラマの岸壁部分の塗装はこの雰囲気を狙っていくことにしました。

もうあれこれ悩むのもイヤなので

もっとも、当時は工場の廃液は海へ垂れ流しだったでしょうから
こんなにキレイな海ではなかったのだと思います^^;

 

アレイからすこじまといえば、このクレーンを思い浮かべる人も多いと思いますが

実は元々は魚雷積み込み用のクレーンなんだとか。

 

昔の魚雷は、艦に積み込む前に

海面へ下ろし、実際に海中を航行させてから積み込んでいたので

その海面への積み下ろしに活躍していたのが、本クレーンという訳です。

 

 

遠目ではこじんまりして見えますが
近づいてみると鋲止めで作られていて、珍しさと風格を感じます。

 

昭和埠頭のジオラマ作成時には
このクレーンも再現したい所です。

 

歴史の見える丘 記念公園

アレイからすこじまからバスで5分も掛からず到着したのが

歴史の見える丘、記念公園。

 

  • 大和の記念碑
  • 正岡子規の句碑

を呉湾とともに一望できました。

 

 

旧大和建造ドッグ建屋

対岸の線路沿いからも見えるくらいなので大きいのはわかっていましたが

近くにいくと、その異様な巨大さが際立ちます。

 

小高い丘の上から、コレですからね。

 

建造中にこのドッグに入っていた大和の高さ・大きさが

どんだけデカかったかという話です^^;

 

この後、ガイドさんとは呉駅のバス亭でお別れし
両城の200階段へ。

 

両城の200階段

 

これがまた想像を絶していました。

階段が途中で壁になっているようにすら見えます^^;

本当に登れるのかコレ・・・?

 

 

両城の200階段の入り口。

割としっかりした案内板があるのに、なぜか見落としました(爆

 

両城の小学校の道路沿いにあるので

「小学校を通り過ぎたな・・・」

と思ったらUターン推奨です。

 

 

まだまだ1/3という所ですが、すでに角度がおかしい・・・。

 

 

まだまだ、ここからが本番でした。

 

 

この画像、カメラを地面の高さから上へ向けて撮影した訳じゃありません。

あくまでカメラは顔の高さで構えています^^;

 

 

ふと階段脇を見てみると、この階段の角度のおかしさがわかります。

階段が歪んでいるので騙されそうになりますが、

画像の右上の方はさらに急角度になり、45度を超えているように見えます(たぶん超えてる)

 

 

もう一度いいますが、この画像も

カメラを地面の高さから上へ向けて撮影した訳じゃありません。

あくまでカメラは顔の高さで構えています^^;

 

 

私の本業は建築設計なのですが

 

「こんなとんでも角度の階段、作れるんだ・・・」

 

と呆気に取られました。

 

 

両城の200階段、登りきると素晴らしい光景が広がっています。

呉は山に囲まれた地形で、坂が多いとは聞いていましたが、それを必要以上に痛感できるのが

この200階段だと思いますが・・・

 

よくよく見渡すと、同じような階段がまだまだ潜んでいるようですねぇ・・・。

 

両城の200階段

ぜひぜひ体感してみてほしいと思いますw

 

ちなみに、お帰りはこんな感じです^^;

(どうしても怖い人は、別の方向から伸びる比較的マシな階段をオススメします)

 

 

次はいよいよコンクリート船「武智丸」へと向かいます。

 

続く。