資料館・博物館探訪記

コンクリート船「武智丸」レポート2018年3月

事の発端は、歴史の見える丘記念公園で

呉のボランティアガイドさんが秘密のガイドファイル(?)を開いている中に

武智丸の写真を見たことでした。

 

武智丸の存在は以前から知ってはいましたが、

呉の観光ガイド本に小さく写真(しかも逆光気味?)が載っているだけで

その形状がよく判りませんでした。

 

正直言うと

「コンクリート船といってもどうせ台船みたいな真四角な箱みたいな船だろう」

と思い込んでいました。

 

ところが
ガイドさんの資料を見せてもらったところ
すごく船の形をしていたので、是非見てみたいとなった訳です。

 

 

大和ミュージアム編はコチラ

呉市内編はコチラ

 

 

 

 

安浦駅から一路、海岸線を歩く

 

呉から電車に乗り、三原・尾道方面へ向って30分ほどでしょうか?

夕方の16時頃に呉を出たのですが到着時にはすでに17時30分をまわり
陽が落ち始めていました。

 

お世辞にも賑わっているとは言えないかもしれませんが

必要以上に心細く感じたのは、陽が落ち色が沈んで見えた海のせいかもしれません。

(後でわかるのですが、本当はすごくキレイな海です)

 

安浦という駅から徒歩15分ほど

海岸線をトボトボ歩いていくと、それは突如として現れました。

 

 

 

コンクリート船「武智丸」見ゆ!!

防波堤として使われていますが
しっかり船の形をしているのは一目瞭然。

 

まるで子供がおもちゃの船を並べたかのように

2隻を繋げる形で防波堤になっていますが・・・

 

「船首と船尾の隙間を塞がなくていいのだろうか?」

 

疑問に思います(笑)

 

でも、そのおかげで船の形がハッキリわかります。

 

 

武智丸の船体形状

湾内に近づくと結構な大きさ。
防波堤として流用しているのも納得です。

 

ちなみに武智丸の守る漁港には「かき小屋」が3軒ほどあったので

好きな人は訪れてみるのも面白そうですね。

 

 

舷窓がポツポツ開いていたり、
間違いなく船として作られているのがわかります。

 

 

 

船首形状は直線的。
コンクリート型枠の関係でしょうか。

ただし平面形としては緩やかなカーブとなっているようです。

 

船首の先端が真っ赤にサビているので、明らかに金属製。

 

最初は戦後に補強目的で「跡付け」されたように見えましたが
錨を収容するベルマウスも真っ赤に錆付き、金属製である事は明らかなので
武智丸の船首先端は、当初から金属製で製作(若しくは補強?)されていたのかも知れません。

 

画像の右側が「第2武智丸」、左側に写っているのが「第1武智丸」

 

遠目だと船首と船尾を並べているように見えましたが

形状やドアの開口位置からすると、船尾と船尾を互いに向ける形で配置されているようです。

 

どちらも船尾は真横からみると直線的ですが

戦時中に建造された軍艦には共通する特徴で、生産性を優先した結果と思われます。

 

 

喫水線下は黒い塗料?モルタル?が塗られているようです。

ちなみに舷窓の横に見える銀色の金具は
おそらく漁船のロープを結びつけるための鉄環のようです。
もちろん、戦後の後付と思われます。

 

 

 

 

 

船体横には防舷物?が取り付けてあります。
船体へ食い込むように取り付いていることや、手前に岩が敷き詰めてあり、係留する漁船がないことから、元々装着されていたように感じます。

 

うまく撮影は出来ませんでしたが、目を凝らすと木製のようにもコンクリート製にも見えて謎です。

 

武智丸のディティール

いよいよ武智丸船上へ・・・

と思いきや、入り口がない!!

 

周囲を見渡せば、入り口があったのですが・・・
残念ながら立ち入り禁止の文字が・・・

 

したがってここから先の写真は全て
フェンスの上から撮影した画像です。

 

船首方向

船首の錨鎖甲板から中央部へあやしげなスロープが見えます。

 

最初は船員の移動用のスロープかと思いましたが

両脇に鉄製のレールらしきものがあるので、それだけじゃなさそう。

 

左には船首の錨鎖庫?へ繋がる開口部が見えます。

 

ちなみに手前の通路は戦後の後付で

点検用の通路?です。

 

 

錨鎖甲板?

 

金属部品が多数見えますが、おそらく錨鎖を巻き上げるためのウィンチなどの取り付け基部や

錨鎖を船内へ引き込むためのホースパイプなどが見えます。

 

 

船首から船尾へ

 

船体中央部には船倉への大きな開口部が2つ見えますが

堤防として使うためか、土砂で埋まっています。

 

船倉の開口部の四週は背の低いブルワーク(立ち上がり)が設けられています。

 

甲板上の水が船倉へ流れ込むのを防止するためだと思いますが、

破損したのか?削り取られた?部分もあるように見えます。

 

 

 

舷側のブルワークもコンクリート製で鉄筋がむき出しになっている?

コンクリートの天敵、海水に長年晒されている割には

破損部分が少ない気がしました。

 

 

もう一つの船倉には海水が溜まっていました。

昔はここに物資を積んで輸送任務に就いていたはずです。

 

船倉の周囲のブルワークは前後が高くて、横(長辺)方向は背が低いように見えますが

この角度だと確定は難しそうです。

 

ただ、荷物の出し入れは横方向でしょうから

横方向のブルワークがすこし低くなっているのは理に適っている気はしました。

 

あと画像の左下の円形部分はおそらくマストもといクレーン(デリック)の支柱基部でしょうか?

だとすれば、その周囲の四角い金属部品はクレーンのワイワー巻上げ用のウィンチかな?

でも4つは多い気がしますね・・・。

 

 

 

武智丸の説明看板。
駐車場の脇に設置されているので、車がすぐ横に駐車すると
非常に発見しづらくなります。

ちなみにこの看板の向って右側に
武智丸の甲板へ入る入り口がありますが
立ち入り禁止となっていました。

 

武智丸、いつか再び・・・?

 

最後に在りし日の武智丸の写真はコチラで見ることができます。

 

紛れもなく船なのですが
船体をみるとコンクリート製なのが白黒写真でも伝わってきます。

資材不足のための苦肉の策だったかもしれませんが
独特の雰囲気を持つ武智丸

さすがにプラキット化されることはないので
頑張って自作してみようかな。

 

帰宅してから調べたのですが、結構みなさん武智丸の船上にいらっしゃいますね・・・。

ただ潮の満ち引きの差が結構激しいようなので、色々と気をつけないといけません。

 

ちなみに安浦にはもう一つ、オイシソウなラーメン屋さんを目的に訪れたのですが

場所が判らなかったので、少なくともあと1回は安浦を訪れる事になりそうです。

 

その日まで、さらば武智丸!!

 

呉探訪記2018年春 まとめ

 

前回、前々回と呉の観光レポートをお送りしました。

 

大和ミュージアムは今回で4回目になりますが

その他の観光スポットは全てお初でした。

 

でも、予想以上に楽しめたので、もう1度巡ってみたいと思っています。

長追公園とかまだ行っていないスポットも多いので、大和ミュージアムの企画展に合わせて

また呉を訪れたいと思っています。

 

それでは、また!!